さて、ラスベガス企画ですが、ポイントはやはり「企画書を見てもらえるかどうか」です。そこでとりあえず額にイラストを入れてみました。
額の大きさは2mx2mです。(嘘)
年末年始の更新は少しお休みすることとし、へそ曲がりなので年末の夢の見方について書きたいと思います。
私は何かを考えるときに
自分ならどうするか
と問いかけます。意味がわからないでしょうが、実際に自分で何かを決めなくてはいけないときに「自分であるならばどうするであろうか」と問いかけます。まったく持って不思議に思える問いかけです。しかしそのニュアンスは
第三者の立場で自分を見たときにどう考えるか
という感じになります。当事者であると考えが広がらず、狭い視野で結論を出してしまうからです。
次によくやるのが「誰々の立場ならどうするか」と考えることです。例えば「もし自分がクリーニング店の跡継ぎならどう商売を展開するか」という感じです。これはとても楽しく、場合によっては自分がビルゲイツの息子にもなれます。ビルゲイツ本人でもいいです。
そういうわけで先日も「もし自分がマイクロソフトのトップであるならばどうするだろうか」と考えました。実際に経営に携わっているわけでないので言いたい放題です。そしてあるアイデアに行き着きました。そしてそれを数ページの「機密資料」風にまとめました。さらに知り合いや一部のメディア関係者に送ったのです。
このような遊びをしていると、とても楽しいです。自由に考えられます。半分悪戯でもあるので、ワクワクします。でも頭の中ではかなり真剣に考えます。
頭の中では誰でも自由です。
そういうわけで皆さんにもおすすめしたいことがあります。来年はこんな遊びをして下さい。
もしビジネスジェットを自由に1年間使えたらどうするか。
きっと夏休みや連休の過ごし方、そしてビジネスのやり方が変わるに違いありません。もちろん頭の中だけですが。
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前々回書いたロデオの二人ですが、ふと彼らの母親の姉妹を思い出し、ネットで検索していみました。母親のダナさんには3人の妹がいます。リサ、カーラ、キンドラです。当時4人は美人4姉妹として有名でした。(ちょうどその頃カーラさんが結婚をし、当時5歳だった甥の一人は枕を濡らしました・・・今はロデオをやっているお兄さんのほうです。そういえば思い出しました。異国の地ではじめて私が結婚披露パーティーに参加したのが、カーラさんのパーティーでした。)
そしてみつけたのです。リサさんとカーラさんは会社を設立し、アウトドア用の椅子の下をペット用ケージにする商品を販売していました。
Wrapsit
リサさんが登場するビデオもあります。これはアウトドア用の椅子の脚にWrapSitを巻きつけてケージにするもののようです。
こういうものがあったらいいな、とか思うことは誰でもあります。しかし実際にそれを作り、販売するまでやる人は数少ないです。それも50歳を過ぎてからやるなんて、それだけで偉いと思うのです。
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15、6歳の頃、私は航空機の設計技師になるのが夢でした。そして当時土曜日の午後、御茶ノ水で頻繁にお話をさせていただいた内藤子生博士に
日本では航空機の製造は限られている
それよりも自動車のエンジンの効率を1%でも
上げられればどれほど社会貢献できるか
先日都内を自動車で走っていて赤信号での停車に少しイライラしました。そんなときにあることを思いつきました。
普通の自動車はブレーキをかけるごとにエネルギーが無駄に消費されます。ですから信号は燃費の大敵です。ですから理想は信号機がない道です。が、都心ではそうはいきません。
そこで(すでにこういう考えはあるとは思うのですが)考えました。航空機のナビゲーションシステムに似たものです。航空機が着陸をするときに、高度などの情報を音声で知らせてくれます。その中には着陸を最終的に判断する地点(やり直しがきく最後の地点)を知らせる機能があります。
そうです!信号機と自動車のナビが通信を行い、「確実にその信号を渡れない地点」を運転手に知らせるシステムがあればいいのです。明らかに今の速度では渡れないと判断できれば、その時点でアクセルから足を離すでしょう。信号までは惰性で進むでしょう。ですからエネルギーの節約になります。
そんなことを考えながら運転していた私です。赤信号も少し楽しくなりました。
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私は忘れない限り帽子を持ち歩いています。場違いでない限りその帽子をかぶっています。アディダスの野球帽で、知人からは「ウッズみたいだ」と言われたこともあります。そしてその理由は
寝癖の矯正
そういえば10年以上前のこと、タオル地でできている帽子で、濡らして電子レンジで温めて寝癖を矯正する商品を考えたことがありました。すると同僚がすぐにネットで調査をしてくれて、すでにそういう商品が売られていることを知ったのです。
やっぱりネットは偉大です。
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先日、久しぶりにブロードウェイを目指している知人の脚本家Kさんと会いました。彼はかつて大手芸能プロダクションに所属し、9年前に「なんじゅね」というテレビ番組の総監督を務めた人です。(沖縄のローカル番組ですが、深夜枠で視聴率がトップでした。そしてこの番組には私も少し絡みました・・・・さらに二千円札、という切り口は、同僚のN山君が言い出したものです。彼は常に二千円札を財布に忍ばせ、女性の受けを狙っています・・・さらに上のリンク内にある「いなもとりゅう」はもと国際金融マンで脚本家になる夢を今でももっているおじさんです)
さて、彼に以前このブログに書いたラスベガス企画について話をしたところ、これをネタに4時間近く話が弾みました。
冗談に聞こえるかもしれませんが、一昨日Kさんからメールが届きました。
早急に企画書仕上げます
コンテンツとして考えると面白い、と思っているようです。
・・・・じゃぁ、そういうことで。
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「ジェネレーションギャップ」はGeneration Gapという立派な英語です。ですからこの概念はおそらく万国共通でしょう。
ところで同僚がこんな話をしていました。
XXXであった20歳代の女性と話をしていたら、YYYYという曲を知らなくてさぁ
そこで私は
その点僕の場合はジェネレーションギャップを感じることは少ないね。
好きな曲は?と聞かれたら「モーツァルトです!」と答えるから。
そんなことを思い出していて、こうも思ったのです。
新しいこと、未来のことを話せばジェネレーションギャップなんて関係なくなる。
そうか、ジムクラーク先生は新しい奥様と未来の話ばかりしていたというわけだな。それとも「金」がギャップを埋めるのかな?先生の奥様は水着モデルなんだってさ。
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バーナード・ショーは面白い人でした。ある美女が
私達が結婚して子供が生まれたらステキよね。私の美貌と貴方の頭脳・・・ウフ
でもその逆になったら恐ろしいからやめましょう
そんな彼がこういうことを言っています。
少数意見は正しいことがあるが、多数意見はいつも間違っている
ですから私は少数意見の道をまっしぐら・・・絶対に私の意見に同意しないで下さい。お願いします。
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ネットが発達し、コミュニケーションの手段が大きく変わりました。特殊な例ですが私が関わっているプログラム開発の世界でも世界中の技術者がネット経由で連携して働いています。ネットが発展しなければありえない世界です。
しかし一方で私はこの開発手法には大きな欠点があると思っています。それは
1) 必要なときにしかコミュニケーションを取らない
2) 考えていることをすべて相手に伝えるわけではない
2つは重なるところもあるのですが、大まかに説明するとこういうことになります。
1)必要なときにしかコミュニケーションを取らない
ルーティンワークであれば仕事を依頼し、仕事を開始、そして終了、ということになりますが、問題解決や仕事の内容すらまだ決まっていないときは「必要なときにしか連絡を取り合わない」というスタンスが大きなマイナスになります。例えばスカイプで定期的に話をしたとしても、その時間は限られていて思いつきやバカ話まではできません。
アイデアは設定された会議で出てくるものではなく、多くの場合は無駄話から生まれると私は強く信じています。そしてネットでのコミュニケーションではリアルタイムの無駄話の割合は相対的に減ります。やはり独り言を他の技術者にはいつも聞いてもらいたいと思っています。
2) 考えていることをすべて相手に伝えるわけではない
私はメールで何かを伝える場合、必ずその内容を整理してから送ります。無駄は極力省きます。相手の反応を見ながらその都度私の「別」の考えを伝える、ということはネット経由であると省略されるか大幅に削られます。やはり私が一番大切だと思っている無駄な情報のやり取りが減るわけです。独り言や整理されていない議論こそが大切なのです。
月に一度、ある会社の技術者に数時間会い、様々な技術的な話をする機会を持っています。多くの場合事前に話したい内容が送られてくるのですが、実際のミーティングでは脱線の連続で、ほとんど笑い話、雑談で終わります。しかしいつも何か充実感というか、何かを学んだというような気持ちになります。これなんです、これこれ!!!!!!!!x100万回
私は外見に似合わず年を取っている、ということでしょうか。いや、そうとは思えないのです。バカ話です。雑談です。
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自分で何かを決められない場合、誰かに頼ることがあります。そして便利なのが「有識者委員会」なるものです。「有識者委員会」が何かを提案すれば、その結論がどうであれ、責任の所在は曖昧になります。おお、なんて便利なんでしょうか。
ある新聞社が「第三者委員会」と呼ばれるものを組織しました。これも似ています。自分で何が悪かったのか、そしてそれがどのような影響を社会に与えたのか自分ではわからない、ということらしいのです。「自分のどこが間違っているかわからないので他人に決めてもらう」ということです。
ということは、もし小学生がカンニングをした場合も、「その生徒のどこが悪かったかを第三者に考えてもらう」ことにすればいいわけです。
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