10年以上前のことですが、ある有名企業を訪れて驚いたことがあります。そこには横断幕があり
XXXXXXのように生きなさい
ここでXXXXXXはその会社の創業者であり社長の名前でした。誰でも知っている女性です。一方、アップルのスティーブジョブズがスマホを開発するにあたり部下にこう言ったそうです。
ソニーならば携帯電話をどう変えるかを考えろ
さてそのソニーですが、創業者や準創業者が会社を去り、外部から社長を迎えた頃から雲行きが悪くなったように思えます。
ところで偉大なる創業者と同じように考え、同じように行動することは不可能に近いことです。ですからソニーのような大企業であっても後継者を探すことは難しいです。しかし一方で「ソニーならば何を作るか、どう作るか」と聞かれれば、突然に素晴らしいアイデアが出てくるような気がします。いや、実際にゼロから考えるよりも楽です。
ですから皮肉なものなのです。本来であればソニーが社内でやらなくてはいけないことをアップル社が行ったのです。そして革命が起こったのです。
もし私がソニーの経営に関与できたなら、優秀な社員に言い続けるでしょう。
「(昔の)ソニーならどういう商品を作るか考えろ」
「創業者なら何を作ったか考えろ」
一方「XXXXXXXのように生きなさい」は大きく違うと思うのです。ジョブズは盛田さんや井深さんのように生きたわけではないはずです。
この微妙な違いが実に難しいのです。
「のように生きる」と「のように考える」の違い、深いものがありますね。
まあ、ジョブズのように生きている社員ばかりだったら、喧嘩あり、突然のクビや社内引き抜きありで、おちおち仕事もできません。
また、某日本企業の創業者には、艷福家で知られる方もおられるから、真似しようたって真似のできることでありません。
アップルは「ジョブズだったらどうするか?」と悩みつづけているように思えます。
逆にマイクロソフトは、ゲイツの後もパーマー等、ゲイツとは似ても似つかないけど個性的で濃い後継者に恵まれてている印象もあります。
創業者本人の美学やこだわりが魅力として顧客にアピールしてきたアップルと、技術と卓越したマーケティングでPC革命をリードしてきたマイクロソフトとの違いなのかもしれません。